あしたへの道

日々の雑記

私達と彼ら

こんばんは。

今日も今日とてShu@カフェです。

カフェはカフェでも6駅隣のカフェ

 

午前中会社に行って、溜まってた書類を捌いてカフェに移動する電車の中での中国人家族とのやりとりから、考えたことが今日のテーマ。

 

私はドアの近くに扉を背にもたれ掛かかっていました。足元には会社用のカバン。

次の駅で乗ってきた中国人の家族(父、母、息子10歳)が、空席もある電車の中で、私の近くに立ち止まりました。

私は特に気に留めることなく、本を読み続けた。

 

息子が何故か私のカバンを蹴った。それも一度ではなく何度も。さすがに我慢できず、反対側のドアへ移動すると以下のやりとりになった。

 

父 あなたは中国人が嫌いですか???(歯を食いしばっている)

 

私 いえ。 友達もいますし、嫌ってないです。

 

父 ではなぜ、私達から距離を置いたんですか?

     あなた達は何故中国人を嫌うんですか?

(顔を真っ赤にして、迫ってきた。吐き捨てるように言葉を次々と吐く。)

 

私 私はそもそも嫌っていないです。

     私が移動したのはそこの男の子が私のカバンを蹴っていたからです。これまでどんな日本人にあったかは知りませんが、カバンを蹴られたので移動した。ただそれだけのことです。

 

父 すいませんでした。てっきり私達が中国人だからかと思いました。以前、日本人と喧嘩になったので、それからそういう意識があるのかと、、、

 

そういうと頭を下げて、次の駅で降りていった。

 

まあ偏に中国人、日本人と言っても色んな人がいるから仕方のないことではあるのだけど、相手を敵だと認識すると、ここまで人は攻撃的になれるのだと改めて思った。

 

大学生の時に読んだ、ジェノサイドの本でus-them という概念を思い出した。

 

ある集合体で人を括り、私達と彼らとして区別し対象をより抽象的にすることで、恐怖感やイメージなど漠然としたものでその集合体を判断するようになる。

 

若者-年増

日本人-中国人

男-女

最近、報道されている迫害を受けるロヒンギャ族もそうだろう。海外メディアのインタビューに応える僧侶はこう言う。

奴らはテロリストだから、戦わなければならない。

事件を起こしたものもいるが、関係ないはずの人々も一括りにロヒンギャ族として迫害の対象になっている。

 

自分も知らず知らずに誰かを括って判断して、行動してはいないだろうか。あくまで自分の印象に過ぎないのに。

 

その括りに入っているとしても、相対している個人をみなくてはならない。

私達-彼らと縛ってはいけないし、既存のものに縛られてはいけない。

 

括りで見ると傾向はあるかもしれない。しかし、あくまで傾向である。その人が傾向どおりの人であるとは限らない。

 

勝手に彼らを創り出すのは辞めにしたい。